明治の町村制度や町制施行、現代の新設合併・市制施行で阿蘇市と阿蘇郡になるまでの変遷を紹介。
目次
現在の阿蘇郡の地域
・南小国町(みなみおぐにまち)
・小国町(おぐにまち)
・南阿蘇村(みなみあそむら)
・高森町(たかもりまち)
・西原村(にしはらむら)
・産山村(うぶやまむら)
明治初年時点では阿蘇市を含む全域が肥後熊本藩領。
旧高旧領取調帳に記載される明治初年での村は1町212村落が記録されています。
阿蘇郡の成り立ち
現在の阿蘇郡は明治時代以後、肥後藩の中から行政区が合併して現在の形になりました。
行政区画「阿蘇郡」になる以前
阿蘇市を含む阿蘇郡の変遷
各村の統合が繰り返し行われて町村の数が変わって行きます。
明治4年7月14日(1871)8月29日、廃藩置県 第1次熊本県の管轄となる。
明治5年6月14日(1872)7月19日、白川県の管轄になる。
明治初年(1868)、(1町214村)
明治7年(1874)、(1町212村)
明治8年(1875)、(1町205村)
明治9年(1876年)、(1町130村)大幅な各村の統合
阿蘇郡、行政区画として発足
明治12年(1879年)1月20日、(1町124村)郡区町村編制法施行、阿蘇郡発足。
・阿蘇市・南小国町・小国町・産山村・高森町(全域)
・南阿蘇村の大部分
・上益城郡山都町の一部
・西原村大部分
・菊池郡大津町(岩坂・錦野・外牧)
明治13年(1880年)、(1町123村)
町村制以降の沿革
明治22年(1889)4月1日、(2町24村)町村制の施行
明治29年(1896)6月1日、郡制を施行(郡役所が宮地村に)
明治34年(1901)1月1日、(3町23村)町制施行(宮地村が宮地町)
明治39年(1906)4月1日、(4町22村)町制施行(内牧村が内牧町)
大正12年(1923)4月1日、郡会が廃止
大正15年(1926)7月1日、郡役所廃止
昭和10年(1935)4月1日、(5町21村)北小国村が町制施行し小国町となる。
昭和23年(1948)4月1日 、(5町20村)
昭和29年(1954)4月1日 (5町13村)
昭和30年(1955)4月1日 、(5町11村)高森町が発足( 草部村・高森町・色見村が合併)
昭和31年(1956)8月1日、(5町10村)
昭和32年(1957)8月1日 、(5町7村)野尻村が高森町に編入される。
昭和35年(1960)9月1日 、(5町7村)西原村が発足(山西村が上益城郡河原村と合併)
昭和44年(1969)11月1日 、(6町6村)南小国村が町制施行し南小国町となる。
阿蘇市、上益城郡山都町、南阿蘇村発足
平成17年(2005)2月11日、(3町5村)→(3町3村)
・一の宮町・阿蘇町・波野村が合併して阿蘇市発足
・蘇陽町、上益城郡矢部町、清和村が合併し上益城郡山都町発足。
・2月13日、白水村・久木野村・長陽村が合併して南阿蘇村発足。(3町3村)
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